Wikipediaが本当に真理と真実を大事にするサイトと思います。すごく嬉しかったです。
しかし、他の本やサイトが同じようなことが書かれていますので、ポストはそのままで残します。2分は少し直してからまたポストをします。
一人の創造論対進化論の証拠探索
リチャード・ドーキンズ博士 は次の有名なことを1989年に言いました。「もし進化論を信じないと主張する人がいたとしたら、その人たちは間違いなく愚かで、バカで、気が狂っているといえる。(もしくは、悪い人、でもそれを考えたくない)」。(http://www.secularhumanism.org/library/fi/dawkins_21_3.html)
実は、その引用をよく読んだことがあって、信じられませんでした。しかし、2006年の末に、続きの記事を読むとまた驚きました。その記事からまた引用します:「以前に言ったことを後悔しません。しかし、もう少し言ったほうが良かったと思います。もしくは、気が狂っている人の中に、もう一つのかわいそうなグループ、信じないように拷問されたり、虐められたり、洗脳された人がいるかもわかりません。とてもよい人で、愚かでもなく、バカでもない、また、悪くもない人が、科学の量が多い証拠と聖なる本に書かれていることによって、真っ二つに引き離せそうになるでしょう。」 (http://www.secularhumanism.org/library/fi/dawkins_21_3.html )
いつものようにドーキンズ氏は、先入観など絶対にない、偏見から解放された科学者であるというイメージを保つつもりです…
しかし、私は正直に言えば、 それはとても信じがたいです。言い換えたら、そのことをこれ以上我慢できないと思います。返事しなければならないときになりました。
ちょっと、説明しましょう…あの有名なパスーツル博士の時代まで(1822-1895)は、すべての科学者は「自然発生」を信じました。ほとんどの人は、ネズミが床のぼろきれから自発的に現われたり、ウジが肉で自発的に現われたということは、間違った考えであることを知っているでしょう。
すばらしいギリシャの哲学者アリストレレスでさえ、アブラムシが露から自然発生してきた。腐ったものからノミが自然発生してきた。汚れた干し草からのネズミが自然発生してきたと信じました!(http://en.wikipedia.org/wiki/Spontaneous_generation )
これを読んでいる、ほとんどの人は、また、パスーツル博士が「自然発生」 は正しくなかったことを実験で、科学的に、はっきり証明したことも知っているでしょう。私はこのようなことを小学校で学んでいて、皆さんもそうであると信じています。「生命は生命から来る」という基本的な生物の規則です。
「生命は生命から」…1862 年にパスーツル博士が実験で証明した…小学校の科学から教えられる生物の基本的なルール…
しかし、あまり年数がたってないうちに、すべての生命の自然発生を除いて、アリストテレスなどは間違えであった、と教えていました。つまり、他の説明がないため、すべての生物は、生物学の基本的ルールと反対して、一度だけ、突然に、自発したと学びます。
驚いています!全世界の生物の発生を説明するために、根本的なルールを無視させるために、人々は、どんなに「…拷問された、虐められた、や洗脳された…」か(ドーキンス氏のことばによって)と思いませんか?
今、 その写真は、自然で撮ったではなく、蛾を樹にのりで付けたそうです。("Icons of Evolution" by Jonathan Wells).この蛾はほとんど幹に止めないとわかりました。どんな人でも、自分の証拠を作ることはちょっと「非科学的」と思いますが。
私にとって、この写真が作られたものだから、証拠として信じなく、別の科学的な理由がありました。
実は、大学時代(1981年‐1985年)に、クリスチャンではなく、創造論を信じなかったとき、この蛾の話を進化論の証拠として受け入れませんでした。その理由をちょっと説明したい...
この有名な話は総数 の比率の変更であって、それ以上何もなりません。産業革命の前からでも、色の違いがありました。この総数 の比率変更は「適者生存」であってと言っても、この「小進化」は「大進化」ではありません。
というのは、白い蛾が前より黒くなったことから、「アメーバが人間」に進化したということを証明しようとします。それは、「推論」よりかなり激しいです。
なぜ信じられなかったでしょうか?大学で農業を勉強して、家畜や穀物の品種改良についていろいろ学びました。どんな品種改良を勉強しても、遺伝の限界についていつも学びました。これはよく、こういう図に説明しました:
こういう図は遺伝の変化は限っているということを証明しています。これはベル・カーブといいます。間中から右側も左側も「0」になります。これ以上、変化はありませんということです。
もう一つの言い方は、大きな牛があっても、小さな牛があっても、適者生存で像の大きさになりません。または、適者生存で収穫の量を増やそうと思っても、限りがあります。
どうして、普段、日常農業の事実は、全世界の動物や植物の事実にならないでしょうか。それは、どうしても、わかりません。
先日”The Panada's Thumb”から引用した箇所を続けましょう:
「教科書に書かれている進化論を説明する図は一番先のポイントしか証拠がありません。後の説明は 推論だけです。どんなに、正確と認めても、それは化石の証拠ではありません。ダーウィン...の説明は全部化石を無視して考えました:
『地質記録はあまりにも不完全であります。そうすると、今の生き物と絶滅した生き物の間、多くの中間の種類がいないことを説明ができます。地質記録の不完全さを認めない人は、もちろん私の理論を認めません。』
ダーウィンがあげた地質記録の不完全さの説明は、今でも、地質記録で進化を見ない古生
物学の慰めである。...私は漸進的進化論を否定するつもりではなく...ただ、それは、地質記録で全然見ないということを教えたいだけです。」
("The Panada's Thumb", Penguin Books, 1987 pg. 151)